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沿革

沿革

大正元年
白石忠明が白石忠明商店を創立し、封筒・紙袋の製造を開始。
昭和10年
白石忠明が白石封筒製造所(大阪市北区老松町)を創設し、昭和20年2月まで操業。戦争の激化に伴う企業整備のため休業のやむなきに至る。
昭和25年
11月/初代社長白石哲朗(白石忠明の次男)は長兄白石信明と共に大阪紙工株式会社(社長白石信明)を設立し、オフセット、活版印刷部門、事務用規格封筒、別注封筒の製造販売部門、各種肥料袋、セメント袋等の重袋部門の3部門により一貫作業を始める。
昭和28年
6月/白石哲朗は、大阪紙工株式会社を退き、印刷、封筒製造販売を目的とする白石哲商店を設立する。
昭和33年
6月/白石哲商店を発展解消し、印刷を主とする法人組織富士紙工株式会社(社長白石哲朗)を設立する。
昭和38年
11月/大阪市東住吉区長吉六反2丁目に新工場(1,726平方メートル)を建設する。
昭和39年
2月/「富士封筒」のブランドにて封筒既製品の販売を開始する。
昭和41年
1月/大東紙工有限会社を大東紙工株式会社に組織変更をする。
11月/資本金120万円に増資し、続いて480万円に増資する。
昭和47年
5月/資本金を1,200万円に増資する。
昭和48年
2月/大阪市都島区東野田町1丁目に本社ビルを建設し、販売の拡大を図る。
昭和52年
4月/大阪市平野区長吉六反4丁目に新工場(570平方メートル・802平方メートル)を増設し、設備の近代化と生産体制の確立を図るとともに、洋封筒の製造、名刺カードの代理店販売を開始する。
昭和54年
9月/白石道子代表取締役社長に就任する。
昭和59年
9月/大阪市平野区長吉六反2丁目に工場増設(419.09平方メートル)し、生産設備の増強を図る。
昭和60年
12月/白石元宏代表取締役社長に就任する。
平成2年
12月/八尾市渋川町1丁目3番29号に輪転製袋工場を建設する。
平成4年
12月/東京都品川区南品川に東京営業所を開設する。
平成7年
2月/大阪市平野区長吉六反から東大阪市稲田新町へ工場を移転し生産体制の確立を図る。
12月/フジックス株式会社に社名変更する。 産業機器の取り扱いを開始する。
平成9年
4月/東京都台東区台東1丁目30番9号に東京営業所を移転する。
平成10年
11月/八尾工場を東大阪工場に統合する。
平成11年
2月/資本金を3,000万円に増資する。
8月/大阪本社機能を都島区から東大阪工場内に統合する。
平成14年
3月/ISO9002認証取得
平成16年
4月/東大阪市高井田本通に新社屋を取得し本社機能及び生産設備を移す。
平成18年
3月/ISO14001認証取得
4月/東京都墨田区千歳3丁目18番4号に東京営業所を移転する。
10月/名古屋市中区丸の内1丁目7番6号に名古屋営業所を開設する。
平成19年
12月/菊全印刷2色機導入
平成20年
2月/菊全印刷5色機導入
10月/東京営業所ビル完成の為移転
東京都品川区東品川1丁目25番3号 TM東品川ビル4階
平成24年
12月/大正元年創業100周年を迎える。
平成25年
11月/印刷用紙の販売を開始する。
平成29年
12月/森林認証取得

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